そういうキャラだから

全ての経験に優劣はなく、何が良くて、何が悪い、ただ自分がそうジャッジしているだけだから。

 

自分が肉体を離れ、一なるものの視点で見るとわかる。

「経験」こそが最も神聖で、かけがえのないもので、大事なもの。

 

あなたが忘れたい、見たくない、痛かったと思っているそう、その経験も、とても神聖でかけがえのない貴重な宝物。どんな経験も、どんな体験も、素晴らしく、かけがえのないもの。

 

楽しかったも、苦しかったもどちらも神聖で貴重なもの。

暑いも寒いも、痛いも嬉しいも、失敗も成功も、お金持ちも貧乏も、健康も病気も全てが尊くて、かけがえのないもの。

 

 

もう既に材料は目の前に揃っているから、

遠くまで買い物に行くことはないの。

 

それをどんな料理にするのか、またそれをどんな風に発展させていくかがあなたの個性。

 

 

くまモンがジグロで悩まないのは、そういうキャラだって知ってるから。

ミッキーが耳のでかさにクヨクヨしないのは、そういうキャラだって知っているから。

 

毎朝私たちは、「自分」と思っている着ぐるみを着て、それに設定されたキャラを演じる。感情や思考もその着ぐるみは伴っているから、めったにそれが着ぐるみだとは気づかない。

 

あらゆる瞬間私たちは、100%。

いつも超完璧。

100%から100%への移行をいつもし続けているの。

 

子供が0で、大人になったら70%になるとか、

そういう事じゃないの。

 

あらゆる瞬間私たちは100%なの。

 

だから、100%の自分のどこを変える必要があるでしょう?

100%の自分のどこに足りないものがあるでしょう?

 

だから、自分を責めるのはやめましょう。

自分を責めている時、他人や社会や世界の何かを責めています。

 

 

常に足りないものにフォーカスするのをやめましょう。

その「無い」ものをアマゾンの奥地やヒマラヤの山頂へ探しに行くようなことも必要ないのです。自分ちの庭先に生えてたりしますからね。いつも必要な材料は、目の前にもうすでに与えられています。

 

 

起きていることや、もうすでにあるものをジャッジせずに、抗わずに、抵抗せずに、拒絶せずに、ただ受け容れていくだけ。

 

例えばね、うちの夫は、忘れっぽい。何でこれを忘れられるのか?って私からすると不思議な生き物。夫の方が家を出るのが遅い時はいつも暖房切っていくの忘れて、私が帰ってくるまで、誰もいない部屋が暖かい状態のことが多くて、「暖房off」の張り紙をリビングのドアにも、玄関のドアにも張ってるんだけど、それでも忘れる夫。エゴの私は、私が電気代払ってるのに何なの?って、最初は怒っていたけど、欠点だから直そうというコントロールをやめ、張り紙をはがし、それも個性だと受け容れていくと、面白いもので、忘れっぽさの素晴らしさが見えてくる。(笑)

 

 

忘れっぽいので、過去の出来事とかあんまり引きずらないから、愚痴や不満もないし、瞬間瞬間に意識がある。いろんなことを同時にしようとするから忘れるわけで、1つ1つこなそうとしてるから、1つが雑になることなく、きちんと1つ1つを消化できてるんだね。1つに集中できるから、力もそこに発揮できる。

 

そして、今は文明の利器がありますからね。多くの電化製品は「タイマー」という機能があるから、「暖房off」を意識しなくても、最初にoffになる時間を設定すればいいだけのこと。(笑)

 

だから多くの人が欠点とレッテルを張ってしまう「忘れっぽさ」でさえも、大事な個性。現にそのおかげで、私が相当学ばせていただいてるし、「忘れっぽさ」ちょ~役に立っています(笑)

 

 

だから、いいも悪いもないの。今生、みんなそういうキャラ設定してわざわざ生まれてるから、コントロールとか、否定とか嫌悪に陥ることなんてないの。全てが素晴らしい自分の個性で、常に100%完璧だから。全てが価値のある自分(=他人もね)。

 

自分を否定し続けると、他人をも否定しますし、社会も世界もダメなことだらけで、悪者だらけになります。減点方式の目線になると、自分が疲れてきます。自分がかけているエゴの眼鏡に酔ってくる。

 

 

二元性の学びのこの世は、コインの裏と表のように、どちらも対等でどちらも必要。表が素晴らしくて、裏がダメだっていうことなどない。そして、表が存在し続けるには、裏の存在が必要になる。表だけのコインは存在できないでしょ?表が存在し続けるためには裏がある。

 

だから、悪人がいなきゃ善人が際立たない。子供の好きな○○レンジャーとか戦隊ものや、水戸黄門的な時代劇なんかは成り立たない。

 

エゴは、常に誰かと比較したり、理想像と比較したり、あるがままを否定し、偽り、虚像します。自分も家族も他人も。ああいうお母さんがよかった、ああいう家に生まれたかった、ああいう仕事をしたかった、ああいう子供が欲しかった、ああいう生活がしたかった。

 

エゴを消すのではなく、エゴを超越する。だからエゴから自由になる。

 

消そうと、捨てようとするから、エゴと戦って疲れる。エゴを認め、赦し、それさえも神が与えてくれた自分一部だと、愛することによって、エゴを超越し、自由になるのです。

 

受け容れることが、結果として手放すことになるのです。ここでいう「手放す」とはそういう事です。

 

受け容れず、拒絶したり逃避するから、その苦しみが、痛みが終わらないのです。「ラクになりたい」と苦しみや痛みから逃れ続けるから、いつまでも苦悩し続ける。

 

「なぜ苦しいのか?」その痛みと直面すれば終わります。その痛みや苦しみは、自分(のエゴ)が勝手に意味づけした見方や価値観による、理想と違っていただけだったのだと気づきます。はい、終了!

 

 

そして、エゴの好物「努力」を断つ。

エゴは、歯を食いしばって頑張るのが好きなの。頑張ることに意味があると思っているの。私もそう。毎年、羽黒山の皇子修行、申し込むかどうかペンジュラムでついつい確認するもの。もちろん、毎回NO!なんだけどね。(笑)滝行とか荒行とか、苦難の先に何かがあるとエゴは思わせるからね。

 

 

人は難しく複雑なやり方や、苦労が多い道が好きなの。

頑張っている自分は素晴らしいもので、価値がある存在だと思いたいから。だから、苦労してアマゾンに行ったり、ヒマラヤに行って、素晴らしい薬草とって来ようとするの。

 

でもね、その薬草、近所の山とか、お父さんの畑の土手にそれが生えてるの知ってるから、近い人ほど、あなたの頑張りを評価しないでしょ?いくら「認めて認めて、私こんなに頑張ってるの」とアピールしたって、「ふ~ん」でしょ?または、逆に怒られるかも?

 

もう、有るから。材料揃ってるから。

それをあなたという個性で調理するだけ。または、調理もいらないかも。全ての自分にOK!を出し、もうすでにある自分の素晴らしさを味わっていくだけ。幸せって、実は超簡単なものなのかもしれません。抗わず、抵抗せずに、あるがままを認め、受け容れていくだけ。自分も、目の前に起きている現象も。

 

 

あなたという、神が与えてくれた最高のキャラをどうぞ大事にしていって下さい。

 

 

神に感謝!

 

 

今日もありがとうございました。