責める

 

責めと我慢。両方重いのですが、今回は責めについて。

 

実は、私たちに何の責任も、実はありません。

全てが、神の寸分狂わぬ完璧な営みの中で行われています。

 

 

だから、自分のせいや誰かのせいや、

何かのせいで起こっていることなど、

実は一つもなく、ただ淡々と、

神のドラマが繰り広げられているだけです。

 

 

自我が強いと、それを忘れちゃう。

だから、良くないことや理想と違うことが起こると、

自分を責めたり、相手や何かを責め、裁く。

 

これは重いし、有刺鉄線みたいなエネルギー。

 

自分にしていることは他人にもしているので、

自分を責めている人は、

必ず他人や世界や神を責めています。

 

 

私自身もそうでした。

神などいない!

神がいるなら、こんな家族に、

こんな病気の体に、こんな人生に

なっているわけないじゃない!

と、幼少期から、

両親や自分や自分の人生や、

この世に送り出した神をも責めていました。

そして、いつも自分を責め、罰を自分に与えていました。

 

 

 

責めるエネルギーは、責めるエネルギーとして、

さらに大きくなって自分に帰ってきます。

 

 

自我に選択肢が与えられていると勘違いしているから、

自我が頑張ったように見えるから、

自我が失敗したように見えるから、

自我が不足感を感じているから・・・・

 

 

私たちは大きな勘違いをしているのです。

 

 

全てが、神の寸分狂わぬ計画の元に

物事が起こっているのを体験し、

分かった今、自我に取れる責任など一つもない、と思うのです。

 

 

あの時こうすればよかった。

あの時あれを選べばよかった。。。

 

 

誰しもが自分で選んでいるように思うから、

あの時、別の道があったかもしれないと、

後悔し、自分や他人や何かを責めるのです。

 

 

しかし、与えられるべきものは

すでに最高のタイミングと状態で与えられています。

 

 

だから、こうすればよかった、

ああすればよかった、

ただの妄想なのです。

 

 

有るように見えて

んな自由意志、

私たち持ってませんから。

 

 

だから、あなたの責任でも、

だれかの責任でもないのです。

 

 

自分を責めるのをやめる。

そうすれば、他も責めなくなります。

 

 

そして、見習うのはバカボンパパ^^

決め台詞は「これでいいのだ!」

全てを肯定し、認める、受け容れる。

「これでいいのだ!」

「これが最高、最善!」

「私って完璧!」

これでいいのです^^

 

 

自分や誰かを責める強力なエネルギーを、

自己肯定に向けていく。

 

 

あらゆる瞬間

パーフェクトな自分を感じ、受け留めていく。

本来それだけでいいのですね^^

 

 

 今日もありがとうございます。

 

 

神に感謝!