心理と真理

 

ダジャレで心理と真理をかけているのではなく(笑)、

 

心理学・・・この世(幻想の二元性の世界)を生きやすくするための気持ちの持ち方や考え方などのメソッド。

 

真理学・・・肉体を持ちながらもあの世(一体性、非二元、全体性、そもそもの根源)に戻るためのもの。

 

と私は考えております。^^

 

 

そもそも方向性が違うんですよね。

共通することをやったとしても、向かう先、見ている方向があの世なのか?この世なのか?(笑)

 

 

言う事も真逆ととれることを言いますしね~。

 

例えば、心理学的視点なら、

体を大事にしましょう。

体の訴えを聞きましょう。

足に冷えはないですか?

頭い痛みはないですか?

胃は、腸は、何か訴えていますか?

 

と痛みや感覚を感じにくくしている人に、体の感覚を、そして「感じる」感覚を取り戻すことを促します。

 

 

が、真理学的視点に立てば、

「五感はウソだから騙されないように!」と言います。(笑)

 

誰かが言った「言葉」に傷ついたとします。

そうするとそこにエゴが出てきて、

「あなたにそんなことを言ったならそこに愛はない」

とあなたをその言葉に縛ります。

 

 

また別に例を挙げると、

誰かがあなたを「笑い」それに傷ついたとします。

そうするとそこにエゴが出てきて、

「あなたを笑ったその人はあなたを馬鹿にしている」

とあなたをその表情に縛ります。

 

 

あなたが聴覚を通して聴いた言葉、

あなたが視覚を通して見た表情、

五感はエゴにすぐ巻き込まれ、

その感覚から、上記の例だと、

「愛されない私」

「価値がない私」

という虚像を作りあなたを縛ります。

 

 

”意地悪な言葉の背後には、バラの優しさがかくされていた。そのことに、ボクは気づかなくちゃいけなかったんだ。”

”それはね、ものごとはハートで見なくちゃいけない、っていうことなんだ。大切なことは、目に見えないからね”(By  星の王子様^^)

ハートで感じれば、そこに愛があるのが分かるのです。

ハートこそが神であり、全体性であり、愛であり、全てであり真理です。

 

真理でいうなら、この見えている世界は、全てが幻想

神の設定した役をそれぞれが演じているだけ。

だから、変えようと頑張った性格も変わらなかったでしょう。神の設定を無理に変えない。

三日坊主の人は、飽きっぽい性格を変えようとせずに、

色んな事に興味を持てるという個性を大事にする。

 

まじめな人はまじめでいい。

無理に笑わせようとしない。

マジメだから人の信頼を得られることに自信を持つ。

自分の役と違うことをしない。そういう性格、キャラだから。


できなかったことを責めたり、裁いたりしない。自分に向けた刃は、いつか他人に向けられるから。人は自分を扱うようにしか、他人と接してしていけないのだから。

 

そして、この幻想の世界では、

ドラマが毎日上映されます。

その内容、フィルムは、

各自の中にあります。

その人の中にある喜びが上映されるドラマ。

その人の中の不安が上映されるドラマ。

その人の中の”愛がない”というビリーフが、外の世界に反映されるドラマ。

ドラマを変えるにはどうするか?

各自の内側にあるものを変えれば、シナリオは変わっていきます。

 

全てを赦し、自分の中の「恐れ」を完全に開放していけたなら、大いなる全体性の中に戻っていきます。二元性からの卒業ともいえるかもしれません。それをアセンションと言います。

 

それに向かってできることは、日々起きていることや既に過去に起こったことを赦し、手放していく。そうするとハートが少しずつ戻ってきます。そして、同時にゆだねていく。

私もまだその過程ではありますが、日々できることを少しずつやっていきませんか?

今受付している日程での講座は間もなく締め切りですが、また別の日程でも開催可能です^^

 

今日もありがとうございます。