祈り

 

誰かや何かの為に祈るとき、
個を超え、全体性(神)に戻ります。


本来の姿である、
愛と慈悲、つまり神の子に戻り、
祈りの対象にその波動を
周囲に、
自己に、
その波動を放射させます。


自分は自分の為に生きているのか?


多分、誰かの為に生かされている。
自分の為に生きていると思うことから、

間違いが始まるように思う。

 

 

地獄と天国の長い箸の話ありますよね。
地獄は、長い箸を持ち自分の口に食べ物を運ぼうとしているけど、天国は自分の長い箸で誰かの口に食べ物を運んであげるように。

 


先日伏流水、生きた水を汲みにいくのに、この日とこの日どっちいいかとペンジュラムで確認したら、翌日午後がいいみたいで、その通り行く時と、水汲みの帰りに、キーロックされてしまい車に入れず、通行車待ちをしてたという人と遭遇し、乗せてあげました。平日の午後だから、水汲み行く人もいなくて、車も通らないのでね。聞いてみると、家も私の住んでいるところに近く、送っていきました。


このようにお助け役の時もあるでしょうし、導き役だったりする場合もあるでしょうし、悪役として、その人を刺激し、気づきを促す配役のときもあるでしょう。

全てが神の采配です。


自分も経験してきたからわかるんですが、自己価値が低い人は、自分のことしかやってないの。他の人を気づかってるつもりでも、それは自分の為に、相手の顔色を伺ったり、自分が認められたいからとか、自分の為になるからやってるだけ。他人軸で生きているからそうなっているだけ。つまり、個の中だけなんだよね。だから、自分って小さいなんの力もない存在だと無意識に思い込んでしまってる。


なんの見返りも期待しないで、人の為に祈ると、個を超えた本来の姿に戻るんだよね。元々、個は仮の姿で、全体性が本来の姿だから。

そして、誰のことを祈ってもいいけど、嫌いなひとがもしいれば、嫌いな人の事ほど、その人の幸せを日々祈るといい。赦せない人がいれば、その人の幸せを日々祈るといい。

そうすれば、あなたも相手も癒されていくのが、わかるでしょう。そして、社会も癒されていく。

 


個にいて、個に固執しているから不安だし、疑心暗鬼にもなるしね。

 


頑張ってるんだけど、変化や手応えを感じにくいなら、個という狭い範囲で、あれこれ頑張っているのかもしれません。個(私の手柄とか、私の努力、頑張りとか、私の〇〇)を手放し、個を超越してみて。きっと、今望んでいるものより、大きなものを受け取るでしょう。


全ての生きとしいける者が幸せでありますように!

神に感謝!

 

 

今日もありがとうございました。