尊さ

 

全ての経験が尊いのです。

 

喜びに溢れ、ワクワクしたり、

幸せいっぱいの経験も、

辛く苦しい経験も、

皆、等しく、

平等であり、

優劣などつけられない、

一つ一つが尊いもの。

 

 

「生きる」という事であり、

経験というもの、全てが尊いと思うのです。

 

 

全ては唯一在るものが、

自我を通し見ているストーリーだから。

 

 

しかし、自分で「生きている」と自我は

傲慢にも思っているかもしれません。

 

 

だから、自我は自分の証拠にこだわるのかもしれません。

自分の努力に。

自分の成果に。

自分の所有物に。

 

 

「自力」で成し得たことなど、

何一つもないのに。

 

そんなもの、最初から

存在していないのに。

 

 

それでも「自力」に固執し、

手放せないのです。

 

 

救助の際は、

手ぶらでないと、

救助しにくいのに。

 

 

例え、

砂漠に一人取り残されても、

マンホールに落ちても、

雪山で遭難しそうになっても、

全てが尊い経験なのです。

 

 

私たちは、本来の自分を忘れ、

自我同一をし、

勝手にドラマの主人公になっているから、

その尊さを忘れていますが、

与えられたすべての経験が、

愛いっぱいの尊いものなのです。

 

 

そう思えないなら、

「なぜ苦しいのか?」

直視すれば分かります。

 

見ずに逃げれば、

それの繰り返しとなります。

 

 

エゴは、他の道があるようにささやきます。

エゴは、他の道があるように見せます。

 

 

受け止めず、

逃げれば同じことの繰り返し。

 

 

苦しさに直視すれば、分かるはず。

なぜ苦しいのかが。

 

 

与えられたものが、

置かれた状況が、

自分の思考の理想と合致しないから、

受け容れられずに、

拒絶したり逃避する。

 

これが苦しみの原因。

 

そして、

「苦しみ」こそが

最大の恩寵。

 

 

喉の乾いた者しか、

井戸を掘ろうとしないのです。

 

 

そして、喉の乾いた者だけが、

内なる泉を掘り当て、

溢れさせることができる。

 

 

全て与えてもらったもの。

唯一在るものに全てをお返しし、

ゆだねる。任せる。

 

 

再び「個」に意識を置いたとき、

全てが尊い経験だったと

分かるでしょう。

 

 

ああ、生きてください。

それ自体がもう、貴重なものなのです。

全てが大事で尊く、かけがいのないもの。

 

 

真実を覆う霧が、

あなたの前からはれますように。

 

 

生きとし、生けるもの全てが、

幸せでありますように!

 

 

今日もありがとうございました。